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執筆者の写真kibedancer

「踊ル人」で踊ったこと

更新日:2018年1月21日

2017年9月いっぱい、キベダンサーは毎日、踊りました。西村陽一郎写真展「踊ル人」の会場、ギャラリーヨクトで。谷崎潤一郎の「過酸化マンガン水の夢」をテーマに、毎日、衣裳も振りも、まったく異なるダンスを踊りました。多くの方が日々、お越しくださいました。観客ゼロの日もありました。皆さんの前にキベダンスをさらし続けたことは同じでした。「踊ル人」で、私は変わったと思います。キベダンスが変わりました。



しかし、何がどう変わったのか、今はまだ、はっきりといえません。ずっといえないかもしれません。その後も、変わり続けているからです。「踊ル人」は「変ル人」だったのか、とも思います。

裸で踊り続けました。しかし、キベダンサーは裸にこだわらなくなりました。逆説的ですが。着衣でも裸だし、裸でも着衣です。体で考えます。踊ることが考えることです。ライターは書きながら考えます。ダンサーは踊りながら考えます。踊らなければ、何も変わらないし進みも退きもしません。そのことを、「踊ル人」で実感しました。

もう一度、「踊ル人」は行われるべきでしょう。いつになるかわかりませんが。そのことを、西村さんと考え続けたいと思います。


毎日、「踊ル人」通信を書き続けました。

その「通信 No.0」(0号)の全文を掲げます。


 一か月30日間の長丁場に向けて。「西村陽一郎展/踊ル人」で、私は踊ります。谷崎潤一郎70歳、1956年の作品『過酸化マンガン水の夢』を題材にして。

 私の表現は詩が踊りに先行しました。詩を詠む際、他人の詩を使おうとはまったく思いませんでしたが、踊りの場合は他人の世界を踊ってみたいと思います。まったくの自作キベダンスがほとんどですが、これまで、泉鏡花『高野聖』、江戸川乱歩『人間椅子』、芥川龍之介『蜃気楼』、アイスキュロス『縛られたプロメテウス』などを踊ってきました。今回は初の谷崎作品です。

 これらすべてが踊れるとは思いませんが、一か月あります、まとめてではなく、少しずつでも踊っていければいいでしょう。食道楽、ストリップなどには別段、共感しませんが、食なくしては生きられず、ストリップは踊りに通じと、否定できるものではありません。私には、他人の世界に身を置くことで、自分の世界を大きくできる期待があります。作曲家や演奏家、写真家、画家、造形作家、花道家ら、私とは異なる個性の方々と、あまたの作品を創ってきた実感があります。谷崎潤一郎が、私を大きくしてくれるか。谷崎にかなわずして小さく終わるか。答えは日々、出ます。一か月先にも出ます。他人に自分を晒すことで。

『過酸化マンガン水の夢』終わりに近い、こんな文章が私をとらえています。

……予は胃袋が充満して胸部がひどく壓迫されつつあるのを感じ、あちらへ寝返りこちらへ寝返りして睡眠剤が早く利いて来るようにと願いながら、昨夜の牡丹鱧のことを考えていた。鱧の真っ白な肉とその肉を包んでいた透明なぬるへした半流動体。それがまだその姿のままで胃袋の中で暴れているように思う。鱧の真っ白な肉から、浴槽の中で体じゅうのあちらこちらを洗っていた春川ますみの連想が浮かぶ。葛の餡かけ、……ぬるへした半流動体に包まれていたのは鱧ではなくて春川ますみ、……いや、いつの間にかドラサール学園の校長ミシェルが浴槽にいる。シモーン・シニョレの情婦がミシェルを水中に押し込んでいる。ミシェルはもう死んでいる。濡れた髪の毛がべったりと額から眼の上に掩いかぶさり、その毛の間から吊り上がった大きな死人の眼球が見える。

 さしあたっては、ここから始まるでしょうか。



書くことも、踊ることでした。そのことを、今、実感しています。

写真は、「踊ル人」のチラシに使われた、西村陽一郎作品。(2018.1.21記 続く)


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