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執筆者の写真kibedancer

鈴木淑子さんとの共同作業


写真は、美學校での、鈴木淑子さんによるキベダンサー撮影風景。

さまざまな写真家の方とセッションする機会が多いのですが、鈴木さんとの共同作業が、2月18日の「ポーレットの部屋」に結びつこうとしています。

鈴木さんとのことを、考えてみます。


写真家の前では、ありのままでいていい。これが私の基本的な考えです。

写真家は、仲のいい家族写真でも、人体がバラバラになった戦場写真でも、喜びと不安でいっぱいの結婚式写真でも、人の時間を一瞬で止める交通事故写真でも、何でも撮るはずです。見ることについて、写真家に選り好みはないはずで、それを自由というなら、写真家の目は画家よりも自由であると思います。

無論、写真家にも得手不得手はあるはずで、撮りたくない写真、撮れない写真はあるでしょうが、そのことは、ここで論じていません。


鈴木さんは、キベダンサーのありのままを撮ってくれます。だから、ありのままでいなければ、とすら思います。遠慮は不要。遠慮することは鈴木さんに、そしてすべての写真家に失礼です。

(このあたりのことは、鈴木さんと話し合ったわけではなく、私だけの考えです。鈴木さんが何をお考えなのか、私はわかりません。しかし、これまでの共同作業が、答えになっていると思います)


鈴木さんは近々、初の個展を開催されるそうです。私の写真も、おそらく展示されるでしょう。最近、鈴木さんに、個展のために撮っていると思われる写真の、コンタクトシートを見せていただきました。モノクロのフィルム作品です。私が写っていましたが、とても自然でした。格好をつけていません。つけているでしょうが、その様が自然でした。写真にする必要がない、と思わせるほどに。

スーパーアーチの会場に鈴木さんの写真を置いて、踊ってみようと思っています。キベダンサーがキベダンサーを踊るのですが、そこには鈴木さんがいます。媒介者として存在しているのです。写真そのものでしょう。被写体と鑑賞者の間には、必ず写真家がいます。彼・彼女は目撃者であり、媒介者なのです。


さまざまの写真家とセッションしていると書きました。しかし、鈴木さんとのセッションは、唯一無二です(無論、他の方もそれぞれに)。もっと唯一のものにしようと思っています。


撮影風景は、西村陽一郎さんが撮ってくださいました。

(2018.1.21記 続く)




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